2002年12月22日号



岡康道+吉田望 * ブランド * 宣伝会議 * 2002刊 * A5判上製 * ¥2800


電通ブランドを背負ってきた2人の対談となると、広告業界関係者は必ず読むだろうが、テーマが「ブランド」しかも惹句に「すべてのブランドは病んでいる」とあるから、いわゆるブランドに関心のある人たちも手にとってしまうだろう。さすがに自分たちの出版マーケティングも巧みである。

広告業界というのは、企業と消費者の間に立ち、メディアを使って広い意味でブランドを作る手伝いをするというのが生業だ。これまでは、マスメディアのコントロールと優秀なクリエイティブで、電通が天下を取ってきたわけだが、いまやインターネットの時代になり、メディアの構造が大きく変わってきているために、自ずと変革せざるを得なくなっている。電通から独立した2人だが、これまでのプロジェクトの裏話だけでなく、大きく論議をひろげた話題となるのは必然だろう。

「ブランドというのは商品でも知名でも大学でも宗教でも、ある言葉があったときにその言葉が呼び覚ますイメージがあって、それが社会に広がっている、知られているという状態をいう。」「ある程度の知名度があることが、まずはブランドの『土地』になるけど、次にその言葉から連想される言葉やイメージの広がりやつながりがブランドの、『建築物』になる。」

導入で定義されるブランドのとらえ方は上記の通りなのだが、語られていく内容は「企業経営者の病」であり、「宣伝部、ブランド担当者の病」である。さらにブランドの建築をサポートすべき広告代理店も病に掛かっているという指摘に移ってゆく。独立したとはいえ、電通の社内事情なんぞをこんなにあけすけに語ってしまって良いんだろうか。実名クリエイターたちもいっぱい出てくるなあ。たぶん電通がそれだけ懐が深いということなんだろうが。野球で言えば巨人みたいなものか。いくら金権野球だと批判されても「勝てばお客さんに喜んでもらえる」というずぶとさはたいしたものである(ちょっと違うかもしれない)。いずれにせよ、それでお客さんが喜ぶ時代というものも変わっていくのだから、良いのだろう。

「意表のあざとさが見えるという意味では、僕はマルチブランドとかマルチクライアントのコマーシャルはあまり好きではない。それは構造が面白いのであって、業界の中の人には意表をついているのかもしれない。電通ならではとか、博報堂ならではという、日本型の代理店構造をあらわすという意味で。でも何かしら広告の伝統的な流れ、つまり自分のブランドを大事にするという気持ちと齟齬が来やしないかという気がする。」

「タレントを起用するのは、今日、明日売ることとは関係あるかもしれないけれど、ブランドを作ることには、ほぼ効果がない。とにかくタレント起用については、もっとみんなで慎重になろうよ、と言いたい。」

「電通は、近代的なマーケティング思想の定着化、取引の明朗化、メディアデータの整備、地方分社化、上場、グローバル化と目指して来ている。つまり普通の会社になったってこと。普通になったあとに何が残るか。多分再び、普通じゃない事を目指すということなのかもしれない。」

ブランド企業をサポートしてきた電通もまたブランド企業の1つになってしまったようだが、いざ野党となった2人には広告業界刷新のプロジェクト推進を期待したいところだ。

序章:本当の自分をよりよく見せたい、そこから病は始まっている
第1章:すべてのブランドは病んでいる
第2章:企業経営者、宣伝部、ブランド担当者の病
第3章:ドクターであるべき広告会社も病んでいる
第4章:理想のブランドづくり
終章:近未来の広告界とブランド



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